5.19に行われたベスト・オブ・スーパーJr(以下BOSJ)のBブロック公式戦。
2連勝中の田口隆祐と対戦した、未だ勝ち星のないBUSHI。
フェイントを挟んで毒霧をバッチリ決めておきながらも、しつこくオーマイ&ガーアンクルを決めれれタップアウト負け。これでBUSHIは開幕3連敗となってしまいました。
Bブロック1位通過濃厚のウィル・オスプレイに負けた時点でアレですが、決勝に上がる可能性はほぼなくなったと言えます。
現在同率1位のエル・ファンタズモと田口隆祐に負けていますから、BUSHIが残り試合全勝したうえで3選手が4敗しなくてはブロック通過が出来ませんからね。
4年連続で開幕3連敗!!
BOSJでのBUSHIの開幕3連敗・・・
成人式で暴れる若者、4月なのに真冬並みの気温・・・etc
もはや風物詩かというくらい続いているBUSHIの開幕3連敗。これで4年連続での開幕3連敗となってしまいました。
振り返ってみると
2018年はYOH、石森太二、4代目タイガーマスクに3連敗の後、ウィル・オスプレイに勝利!最終的には3勝4敗。
2017年はACH、エル・デスぺラード、KUSHIDAに3連敗の後、田口隆祐に勝利!
4連勝で最終的には4勝3敗。
2016年は外道、マット・サイダル、カイル・オライリーに3連敗の後、ロッキー・ロメロに勝利。
4連勝で最終的には4勝3敗。
ちなみに、BUSHIとしての大きな転機という部分で見ると、この2016年は前年2015年の11月に怪我から復帰し、ロスインゴに入りました。
また、同年12月にはCMLLの世界ウェルター級のベルトも戴冠しました。(2ヶ月で取り返されたけど)
では、それ以前のBUSHIの成績を少し見てみたいと思います。
BOSJ参戦から欠場までの成績
BUSHIがBOSJに初参戦したのは2012年。
全日本プロレスと新日本プロレスでの新たな取り組みという形で、1年間のレンタル移籍という形で新日本プロレスに参戦してきた直後でした。
2012年のBOSJ
この年のBOSJでは、初戦でロッキーロメロに勝利も最終的には3勝5敗。
2012年の優勝者は、当時プリンス・デヴィットとのApollo55というタッグチームで、常にジュニアタッグのトップを張ってきた田口隆祐でした。
その後、レンタル移籍中の2013年1月に新日本プロレスに完全移籍を果たしたBUSHI。
当時全日社長の内田さん(後にノアの会長)が
「BUSHIがいなくなるのは痛い。でも、BUSHIが評価されるという事は我々がやってきた事も間違っていないということにもなるので。」
と語っているくらいですから円満移籍ですよね。
付け加えて「BUSHIではないけど、うちにはSUSHIがいるから(笑)」とも語っています。
超円満移籍という事でいいんでしょうかね。
ちなみにSUSHIは名前の通り頭に寿司が乗ったマスクマンで、それを相手にやたら狙われます。(すでに退団)
2013年のBOSJ
そして、完全に移籍した年である2013年のBOSJでは、初戦でKUSHDAに勝利!
最終的には3勝5敗。
この年はプリンスデヴィットが悪に染まって、BULET CLUBを立ち上げた直後でして、反則を繰り返していました。
当時は準決勝と決勝が同日に行われていて、準決勝が田口隆祐対アレックスシェリー、プリンスデヴィッド対ケニーオメガの予定でした。
しかし、田口が腰負傷により欠場。
勝ち点で並んでいた数名から直接対決の結果を踏まえて、TAKAみちのくが準決勝に進出というアクシデント?も。
優勝はプリンス・デヴィットでした。
2014年のBOSJ
2014年はBUSHIは初戦で獣神サンダー・ライガーに勝利!最終的には3勝3敗で終えました。
前年同様、この年までは決勝戦と準決勝が同日に行われていましたが、アレックス・シェリーが負傷欠場でタイチが繰り上げで準決勝進出。
この大会では1回戦でアレックス・コズロフが負傷で以後の試合を全欠場と言うアクシデントもありました。
「アレックスの呪いだ!」と1人で話していた記憶があります。
え?・・・2人ないし複数人で話してたんじゃないのかって?
・・・1人で話していたんです。(プロレス好きな友達がいない)
恐らく、この年怪我で負傷が続いた事から、準決勝の制度がなくなったんでしょうね。
結果的にこの年は、田口隆祐対リコシェ、タイチ対KUSHIDAという準決勝から、決勝戦はKUSHIDA対リコシェ。
優勝はリコシェとなりました。
BUSHIは何故開幕3連敗するようになったのか?
結局成績だけを見ると、毎年3~4勝に留まっています。
とはいえ、きっとBUSHIファンからするといきなり優勝の可能性がなくなってしまうのも残念ですよね。
開幕3連敗するようになった2016年。先ほども書きましたが、前年にBUSHIはロスインゴ入りと怪我からの復帰がありました。
怪我の影響
2014年の12月にコーナーから相手を交わし、前転して着地をするムーブで首から落下。
急性硬膜下血腫、脊髄震盪、第12胸椎骨折という大怪我を負い、1年間欠場しました。
胸椎なので、頸椎、胸椎、腰椎と連なる骨ですね。12胸椎という事は、上から数えるのでみぞおちの後ろ側あたり。
ただでさえキツイ、シングルマッチの連戦になるBOSJですから、この怪我の影響は大きいでしょう。
毎年尻上がりに連勝してるじゃないか!という話しになってきますが、そこは怪我の影響もあって開幕慎重にならざるを得ないという形で想像できます。
勝率に関して
そもそも、BUSHIはシングルの勝率が高くありません。
選手生活トータルで見て、シングルだと30%台後半の勝率ですが、3人、4人、5人と増えれば増えるほど勝率は高くなり、5人だと70%近い勝率を誇ります。
そのため年間の勝率でみても2016年以降は60%~70%で推移しています。
例えばIWGPヘビーのチャンピオンであるオカダカズチカなんかは、選手生活トータルでシングルの勝率が50%後半ありますが、5人タッグなんかは20%ほどしかありませんし、4人でも40%ほどしか勝率がありません。
そのため2017、2018年は年間勝率30%台後半になっています。
ですので、勝率から見える事は、BUSHIはタッグの方が得意である。
いわゆるタッグ屋というやつですね。
2016年以後、勝率が急激に伸びている事から、ロスインゴ自体の勝率が高いという事が見えてきます。
ちなみに、内藤哲也はシングル、タッグ共に40%後半から60%後半で、年間でみても2018年は70%超えていますから、オールラウンダーといえるでしょう。
内藤も同じく、ロスインゴになってからグッと勝率を上げてきています。
勝ち負けだけがプロレスではないですけど、こういうデーターを見るのも面白いものですよね。
とはいえ、BUSHIもここから挽回してくるでしょうから注目してみたいと思います。
こちらからは、以上です。
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