猪木問答に見る棚橋弘至の信念![全文書き起こし]

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新日本プロレスの歴史 新日本プロレスの歴史

今回は新日本プロレス冬の札幌事件簿の1つに数えられる「猪木問答」を振り返ります。

2002年の2.1、北海きたえーるにておきたこの猪木問答。

アマゾンプライムビデオで見られる「有田と週刊プロレスと」においては猪木御殿(さんま御殿のように猪木がトークを回しているから)とも呼ばれているこの事件。

「有田と週刊プロレスと」はこちら

やりとり自体の面白さが語られる事が多いが、裏に見えるアントニオ猪木という男の凄さ(ある意味)と棚橋弘至の信念が感じられる一幕でもあります。

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猪木問答の背景

この猪木問答の背景としてあるのは

・K-1やPRIDEなどの格闘技ブーム。

・猪木が送り込んだ刺客”小川直也”と橋本真也の1999年1.4のシュートマッチ。

・2000年8月には猪木がPRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーに就任。

・2001年の大晦日には永田裕志がミルコ・クロコップに敗れる。

永田裕志対ミルコ・クロコップ[新日本プロレスの歴史]
2019年3月 K-1やPRIDEで活躍した”ミルコ・クロポップ”が脳卒中により引退した。永田裕志はなぜミルコ・クロコップと対戦しなければならなかったのか。当時はどんな様子だったのか。今、その歴史を振り返りたいと思う。

猪木軍として新日本プロレスのレスラーを総合格闘技に投入していき、黒星が続いた事。

格闘路線に嫌気がさした当時人気ナンバー1の武藤敬司が、小島聡、ケンドー・カシンと新日本プロレスのフロントスタッフ5名を連れて全日本プロレスへ移籍。

アントニオ猪木によって振り回された新日本プロレスは団体の危機に直面していました。

そんな中、アントニオ猪木の真意を確かめるべく立ち上がったのが黒のカリスマ”蝶野正洋”だったのです。

猪木問答(第1幕)

試合後に蝶野がマイクを握ります。

蝶野
「おい!新日本!! よく聞けよ! 俺に納得出来る説明出来る奴いるのか!!
おい!お前らに教えといてやる!新日本プロレスこのリング! 我々の上に1人神がいる!!
ミスター猪木!!」
猪木
「元気ですかーっ!! 俺は怒ってる今日は。・・・その前にかつてスキャンダルがあった時に、札幌のみなさんが最初に受け入れてくれた。今でもその思いは変わりません。一言・・ありがとう!」「そして新日本からしばらく離れている間にいろんな事が起こった。
今回アメリカから帰って来ましたら肝心かなめの・・武藤がどうしようと馳がどうしようと、そんな事はどうでもいい。
新日本プロレスの心臓部、機密を全部持って行かれて指を咥えてる。こんな奴ら許せんぞー!!」「・・・と、いう事で俺は怒りまくった。そうしたら蝶野が立ち上がって来た。
今、世の中が怒りを忘れてしまった時代に、俺達がリングで本当の怒りをぶつける!
それがみんなに伝えるメッセージなんだ。新日本イズムとはそういう事だと思う。・・違いますかっっ!?」「蝶野!!怒ってるかオメェは!!」

(ファンの歓声)

猪木
「聞いたか? この声を。お前に期待をしてるんだぞ!」
蝶野
「会長、まず先に一つ。俺も新日本で闘うレスラーとして、新日本にも、それからオーナーの猪木さん、それから新日本の象徴の、俺らの神であるアントニオ猪木に聞きたい!
ここのリングは・・・ここのリングで俺は・・・俺はプロレスをやりたいんですよ!!」
猪木
「ちょうど俺は引退してからもうすぐ4年が経ちます。
覚えてるかな? ・・・この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ」

(引退時に披露した詩「道」にファン歓喜!)

猪木
「いいか!今世の中はな、みんな縮こまってしまって夢も希望も潰れてしまった。
だからこそ! 俺達は力道山が戦後に、敗戦の中で夢をなくした国民に、闘いを通じて夢を与えてくれた。
それが猪木イズムじゃない、力道山イズム、そして猪木イズム。お前達が継いでくれなくて誰が継ぐ!!」「今日は俺は素直な気持ちで・・・なあ。出ていった奴はかまわない!! 災い転じて福となすじゃないが・・・ね。
本当に今世界に発信しなきゃいけないプロレスの時代が来てる!
インターネットを通じて世界の隅々までプロレスを見てくれる時代がもうそこまで来てる。
その為に本当のプロレスをやって欲しい。
そのために俺は外に旅に出てメッセージを送り続けた・・・この4年間!!小川と橋本の試合、そしてこの前も10月にいろんな事で俺に相談に来たから「三つ巴戦」という試合を提案してあげた。それも拒否した。
12月31日、今まで歴史になかった紅白と同じ時間帯で最高の視聴率を取った。今、お前に教えよう!!お前はただの選手じゃねえぞ、これから。いいかぁ!? プロレス界を全部仕切って行く器量になれよ!・・・どうだ!?」
蝶野
「猪木さん、俺に全て任せて欲しい。この現場作りの全てを。俺が全部やりますよ!!」「藤波! おい長州!! ここは俺に任せろオラエー!! リングの上は俺が仕切る!! いいか!! 武藤!!全日本!くそったれオラエー!!」「おい!お前ら誰か他にやる奴いねぇのかオラエー!おい!俺と天山か・・・」

ここまでが蝶野と猪木とのやり取りです。

噛み合っているように見えて、実に噛み合っていません。

蝶野自身も語っていますが、「あんたのせいでこうなってるんだよ!俺たちは普通にプロレスがしたいんだよ!」という現場の声をファンの前で訴えたつもりが、気付いたら猪木自身も同じサイドで怒っているという。

あっさりファンを味方につけた猪木が、ここでは一枚も二枚も上だったという事ですかね。

猪木問答(第2幕)

猪木問答
(参照:新日本プロレスワールド)

ここからは、リング上に中西学永田裕志鈴木健想棚橋弘至が上がります。

猪木
「オメエも怒ってるか!?」
中西
「怒ってますよ!!」
猪木
「誰にだ!?」
中西
「全日に行った武藤です!!」
猪木
「そうか・・お前はそれでいいや」

猪木
「オメエは!?」
永田
「全てに対して怒ってます!!」
猪木
「全てってどれだい? 言ってみろ。俺か? 幹部か? 長州か!?」
永田
「上にいる全てです!」
猪木
「そうか。奴らに気付かせろ。」

猪木
「オメエは!?」
健想
「ぼくは!自分の明るい未来がみえませーん!!」
猪木
「見つけろてめぇで!」

棚橋
「俺は!新日本のリングでプロレスをやります!!」

猪木
「・・・まあ、それぞれの想いがあるからそれはさておいて、なぁ。てめえ達が本当に怒りをぶつけて、本当の力を叩き付けるリングをお前たちが作るんだよ!俺に言うな!!俺は3年4年だ、引退して。てめえ達の時代、てめえらのメシの種はてめえで作れよ!!いいか!?今日はここんとこはてめえらみんな握手しろ!それじゃあ俺に代わってお前が一言みなさんにメッセージを送ってくれよ」
蝶野
「オイ!札幌!!オイ!それから電波を通じて全国の新日本ファン!プロレスファン!!よーく聞け!!新日本プロレス、もう一度ここで、最高のプロレスラーのレスリングをもう一度蘇らせる!!」
猪木
「おめえらに言っとくぞ!!俺がチョロチョロ出てくる様な場を作るなよ!!」「やるかー!!」「それぞれの怒りも全てぶつけてくれ!俺達はそんな想いを、日本に元気をつける為に力を合わせて頑張っていきます。いくぞーっ!!1.2.3ダァーー!!」

そしてその後、本隊の永田、中西、棚橋、健想に順番に闘魂注入のビンタ。

最後にリングに上がった柴田勝頼が猪木を呼び止め、ビンタしてもらう。

これが、猪木問答の全容です。

新日本プロレス激動の2002年

2002年は武藤、小嶋、ケンドーカシンとフロントスタッフ5名の離脱に加え、その武藤離脱の責任を取らされる形で現場監督を解任されていた長州力が5月に猪木と当時社長だった藤波辰巳を痛烈に批判し退団。

翌年WJプロレスを旗揚げします。

フロントの総括責任者ともいえ、Uインターとの対抗戦など数々の仕掛けをヒットさせてきた永島勝司氏、佐々木健介、そして猪木問答にも登場した鈴木健想も新日本プロレスを離れ、そのWJプロレスへ。

そんな離脱続きの2002年でしたが、この年に入団したのが中邑真輔後藤洋央紀田口隆祐ヨシタツ

将来大きな花を咲かせる新たな種はまかれていたんですね。

しかし、ここからも新日本プロレスは引き続き、迷走していく事になるのです。

棚橋弘至の決意

猪木問答で棚橋が言った

「俺は!新日本のリングでプロレスをやります!!」

という宣言は、今になって振り返るとさすがエースという発言です。

これこそが蝶野が猪木に訴えたかった事とも言えると思います。

 

棚橋は武藤の付き人をやっていましたから、離脱の時にもちろん武藤から誘われました。

ファミレスで「タナ、お前全日本に来いよ」と言われたそうです。

答えが出せないまま悩んでいる棚橋に武藤から電話があり、棚橋は

「僕は新日本が好きでプロレス界に入ってきたので、新日本でやっていきます」

と言ったそうです。

「そうか。タナ、悩まして悪かったな」

これが猪木問答でのあの宣言に繋がっているんでしょう。

猪木に闘魂注入される時も、棚橋だけは一歩猪木に詰め寄るそぶりを見せていますし、頭を下げていません。

棚橋の信念を感じるシーンでもあります。

 

一方で、棚橋はここから順調にエースの座を登っていったのかというとそうではなく、この2002年の11月に二股交際が原因で女性から刃物で背中を2か所刺される事件にあいます。

丸坊主にしての謝罪会見、そして半年の欠場。

棚橋いわく「当時は本当にチャラついていたし、どの写真も悪想をしている。」

ただ、この一件で本当にエースになる決心、新日本プロレスへの恩返しを誓った棚橋。

当時すでに新日本プロレスを離脱していた長州から、事件後に届いた花にはこんなメッセージが添えられていました。

「人生は長い、あきらめずに頑張れ」

その後も2009年あたりまではブーイングが付きまとっていましたが、頑張り続けた棚橋は見事に新日本プロレスのエースとなったのです。

 

こちらからは、以上です。

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