獣神サンダー・ライガーVS鈴木みのる!!二人の物語を振り返る!

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2020年1月の東京ドーム大会にて、引退する事を発表している獣神サンダー・ライガー。

現在行われているレスリングどんたくシリーズではタイチが噛みつき、バクステコメント中にライガーが乱入する動きもありました。

「NEVERを(ジェフ・コブから)取ったら俺が挑戦してやる!」

と言っていたライガーでしたが、4.20愛知県大会からは鈴木みのるとの抗争が勃発。

とにかく暴れまくる鈴木みのる、4.24の後楽園ではオープンフィンガーグローブを持ち出し、挑発。

それに対しライガーの主張は

「喧嘩がしたいなら街中でもどこでもやってやる!」

「喧嘩するならこのリング使うな。お前の喧嘩なんて誰も見たくない。新日本から出ていけ」

4戦を消化した時点でもはや沸騰寸前、というより、もはや吹きこぼれている状態の二人の抗争。

「喧嘩するならこのリング使うな!お?やるか!?よし来い!」と言ってリングの上でイスを使ってチャンバラを始めてしまう無茶苦茶な展開は、ライガーらしいですよね。

この二人の物語を、少し振り返ってみたいと思います。

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若手時代のライガーと鈴木みのる

ライガーの中の人「山田恵一」としては84年にデビュー。

(ちなみにマスクマンの中の人を明かすのはご法度だけど、ライガーは素顔むき出しで闘った事もあるし、自伝なんかでも山田恵一時代の話しも普通にしています)

一方で鈴木みのるは1988年デビュー。

二人は新日本プロレスの先輩後輩というだけでなく、共に藤原教室で関節技に磨きをかけた仲でもあります。

藤原教室とは・・・カールゴッチに師事し、関節技やレスリング技術を学び、当時道場最強とも言われていた藤原喜明が道場で若手選手のコーチ役をしていた

鈴木みのるは入門から約2年でUWFへ、その後に”藤原組”を経て船木と共に”パンクラス”を立ち上げます。

一方、1989年1月に海外遠征中に消息不明になった山田恵一は、同年4月に獣神ライガーとしてデビューするのです。

パンクラスでの鈴木みのるVS獣神サンダー・ライガー

鈴木みのるがリング上で語った

「おい、ライガーよ。お前あの時言ったよな?『2年くらい時間よこせ』って。オイ、いつまで待たせんだよ?」

”あの時”が指すのは、このパンクラスで行われた試合です。

2002年11.30に二人はパンクラスのリングでMMA(総合格闘技)ルールで対戦しました。

対戦までの経緯

この試合は元々、佐々木健介と鈴木みのるが対戦する予定でした。

二人は若手時代に「いつかビッグになってまた闘う」という約束をしており、5月の東京ドーム大会にゲストで来ていた鈴木みのると健介が握手。

そこから流れに流れて11.30に試合が決まったものの、佐々木健介が足の怪我と魔界倶楽部を始めとする外敵との抗争を優先させるとキャンセル。

ライガーがパンクラス事務所に謝罪をする事になるのですが、申し訳なさすぎると自ら手を挙げ、鈴木みのるとの対戦が決まりました。

佐々木健介は同年10月に、緊急会見で辞表を提出。

「鈴木戦において自分を介さず話しが進んだ。会社に不信感がある」

と発言し、永田を始めライガーや蝶野など新日本のレスラーを激怒させました。

すでに5月に新日本を退団していた長州力が引き抜こうとしているんじゃないかと言われていましたが、結局11月に健介は新日本を退団。

翌年3月に旗揚げされた長州のWJプロレスに加わる事となります。

二人のシングルマッチ

当時は、パンクラスがマスク着用禁止ルールがあった事から、ライガーではなく山田恵一として闘うのではないか?という話しもありました。

結局バトル仕様のマスクとショートタイツで試合を行いましたが、当時は身体の厚みが半端じゃなかったです。それは鈴木みのるもですが。

試合は、浴びせ蹴りを放ったライガーに対し、それを交わして上を取った鈴木みのるがマウントからのパウンド→チョークスリーパーで試合時間1分48秒で勝利

試合後に二人は抱き合い、ライガーの「殴ってくれ」の言葉に一発ずつパンチを交換しました。

「くやしいーっ!!」と叫ぶライガー。

試合後のマイクでは

鈴木「ライガーさん。ちょっとだけ錆びてましたね。でもやっぱりあんたは最高だよ!世界の獣神ライガーだよ!!ありがとうございました!!」

と、深々と頭を下げました。

今の鈴木みのるからは想像できませんよね。一方でライガーは

「もう一回やろう!このままで済むかお前!でも、すぐじゃまたこんな目にあちまうから、二年くらいよこせ!そしたら次はお前ぶち殺してやるから!!」

ライガー節を披露。

言っているライガーも、聞いている鈴木みのるも、楽しそうに笑顔だったのが印象的です。

 

その後はというと、ライガーは悔しさから柔術を習い始め、鈴木みのるはプロレスに復帰しました。

2002年は本当に新日本プロレスにとっても激動の一年でしたね。

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それ以後の大きな接点といえば、2011年震災のあった年の全日本プロレスのプロレスLOVEin両国vol.11で船木&鈴木対ライガー&永田が行われたり、同じく同年のチャリティー興行で東京スポーツ主催のALL TOGETHERで6人タッグで対戦くらいでしょうか。

二人のシングルマッチ実現なるか!?

そういう背景があった上での現在の抗争です。

ファンとしては、やはりシングルでの対戦を期待する所ですよね。

鈴木みのるは天龍源一郎が引退する時に対戦相手にオカダ・カズチカを指名した時に

「天龍は時代と戦って引退するんだなって」

と発言したそうです。

ライガーは何と戦って引退していくのか。

来年の1.4にはまだ時間がありますが、現在すでに鈴木みのるとの抗争が沸騰寸前まで来ています。

このまますんなりシングルマッチが実現するのか、注目ですね。

 

こちらからは、以上です。

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